卒業生メッセージ
建築&芸術学部

現在はフリーランスの芸術家として、絵画制作や造形などを手掛けています。絵を描くのが好きな僕に母親が勧めてくれたのが大手前大学でした。大学では就職活動中、ゼミの先生に「僕は芸術家として生きると決めました!」と相談したところ、「そうしなさい、全力で応援します。そして死ぬまで描き続けられるまで芸術をやり続けなさい」という言葉をいただきました。それは今でも僕の中にある芯の言葉となっています。僕の作品を見た人たちが感動してくれた時は、この仕事におけるやりがいや達成感を感じることができます。世界の心、日本の心にポツポツ空いている穴を少しでも僕の芸術で埋めていきたいです。


大阪市役所の計画調節局に所属し、より良い都市景観を創出するために、建物においての景観の協議を窓口で行なっています。一つの建物だけではなく、一つひとつの建物が生み出す外観や外構が連なり合うことで形成されていくのが都市景観やまちなみです。その趣旨を協議者に理解していただき、実際に景観に配慮した建物づくりをしていただけたときには、大阪市のより良い街づくりに貢献できているのかなと感じます。大手前大学のメディア・芸術学部(現:建築&芸術学部)では、専門の建築だけでなく、インテリアや福祉などさまざまな分野を学びました。この多様な学びによって、どの分野に対しても抵抗なく取り組むことができているのだと思います。与えられた授業での学びも大事ですが、チャレンジできる時間も自分次第で無限にあるのが大学生活です。是非、大手前でたくさんのコトに触れ、自分の視野を広げ、人間力を高めてください。
与えられた授業での学びも大事ですが、チャレンジできる時間も自分次第で無限にあるのが大学生活です。是非、大手前でたくさんのコトに触れ、自分の視野を広げ、人間力を高めてください。



卒業後は東映アニメーションへ。その3年間は主に『プリキュア』TVシリーズで演出助手を務めました。2022年4月からフリーランスとして活動。現在はWIT STUDIOというアニメ制作会社のもとで演出の仕事をしています。大手前大学は専門学校ではありませんが、実は映像系の設備がとても充実しているんです。PCには液晶タブレットがついていますし、ソフトはAdobe系はもちろんクリップスタジオペイントやMAYAまで。教室が空いていれば自由に使えるので、作品制作はやりたい放題です(笑)。先生も熱意のある方ばかり。就職活動のときも、採用課題についていろいろと具体的なアドバイスをいただきました。本学で学んだ技術やコミュニケーション力を活かしながらこの仕事を続けて、いつか子供向けアニメの監督を務めたいと思っています。
先生も熱意のある方ばかり。就職活動のときも、採用課題についていろいろと具体的なアドバイスをいただきました。本学で学んだ技術やコミュニケーション力を活かしながらこの仕事を続けて、いつか子供向けアニメの監督を務めたいと思っています。



現在はおもに、外構計画など建物周辺の設計をしています。その土地の形や方角に合わせた設計をしていくのですが、大学の授業で本当にたくさんのプランニングの課題をこなしたので、その経験が活かされていると思います。また私は、「ここにはどんな人が住むのだろう」と考えながら設計をします。在学中に色彩心理学やファッション分野なども学びましたが、住む人を心地よくするための設計として参考にしています。理論的な色の効果で終わるのではなく、その色を使って何をどう作るかまで突き詰めて学びました。心理学的アプローチも使って設計を提案できるからなのか、上司に「そういう目的があるのならそうしよう」と受け入れてもらえたときは「やった!」と思います。
理論的な色の効果で終わるのではなく、その色を使って何をどう作るかまで突き詰めて学びました。心理学的アプローチも使って設計を提案できるからなのか、上司に「そういう目的があるのならそうしよう」と受け入れてもらえたときは「やった!」と思います。



私にとって大手前大学で過ごした4年間はとても濃く、人生を決めた貴重な時間でした。大学ではグラフィックデザインと英語の勉強をがんばりました。先生たちがとても親身で、大変な勉強でもどんどんやる気になっていきましたし、中でもLEOの授業は英語で仕事をしている今の私が思い返しても、内容的にとても役立ったと思います。特に印象的な出来事としては、アートを勉強しにアメリカ留学したいと思った私のために、それまで大手前大学から留学生を送ったことのない大学への橋渡しをしてくださったことです。現在勤めている香港教育大学の仕事に導いてくれたのは、そのアメリカ留学で知り合った日本人の友人です。振り返ってみると、大手前大学で学んだこと、出会った人、チャレンジしたことが、私の人生を変えたと思います。
ことです。現在勤めている香港教育大学の仕事に導いてくれたのは、そのアメリカ留学で知り合った日本人の友人です。振り返ってみると、大手前大学で学んだこと、出会った人、チャレンジしたことが、私の人生を変えたと思います。
