
わたしたちの「ゆさぶる ささる 胸を打つ」
自分の可能性と視野を広げられた大手前大学での4年間

小松原 裕斗さん
日本に一つしかない「国際看護学部」に惹かれて入学
私の母が医療従事者であることや、小学生のときに曾祖母が入院し、病院で働く医師や看護師の姿を頻繁に見ていたことから、医療現場を身近に感じていました。さらにその数か月後に起きた東日本大震災の映像をテレビで見て命を救う仕事の尊さを感じたことも重なり、自然と看護師を志すようになりました。高校時代に進路を決める際は、看護を学べる学校の多さに戸惑いましたが、看護にプラスアルファで「何か」を学べる大学に進みたいとは考えていました。なかでも大手前大学への入学を決めたのは、日本で唯一「国際看護」を学べる大学に興味を持ったためです。
国際看護学部では、外国人患者さんへのケアも視野に入れ、文化や言葉の違いに配慮した看護を学びます。印象に残っているのは海外実習。現地の看護の特徴や、難しさを肌で感じられる貴重な体験でした。例えば日本では、排泄時にはカーテンを閉めるなど、患者さんの気持ちに寄り添う看護に重きを置いています。シンガポールは、国家試験ではなく、国内で認定された教育機関を卒業することで国の看護局への登録資格が得られます。なので学校内で、生身の人間に近い機能を備えたシミュレーターを使う、実践的な学習をしていました。世界では各国の特性に合わせた看護実習を実施しており、そこに優劣はないのだと実感しました。

学外では、総合病院で看護助手のアルバイトに4年間従事していました。清掃や食事の配膳が業務の中心で、正直に言うと自分のやりたいこととは乖離しており、続けるべきか迷いもありました。大学の先生に相談したところ、看護師の実務にも必要な「行動計画」と「優先順位」に関してはアルバイトを通して学べているのではないかと仰っていただき、意義を見出してからは前向きに取り組むことができました。同時に眼科クリニックでも働いており、そこでは患者さんと接する機会も多かったです。業務を通して、患者さんは私が伝えた言葉や質問の答えなどをきちんと覚えておられて、「想像以上に相手に影響を与える仕事だ」と実感しました。実習での私の言葉や行動は「記録」に残せますが、アルバイトでは患者さんの「記憶」に残るのだと気付くことができ、改めて責任の重さを感じました。私は自ら進んで医療関係のアルバイトを選びましたが、医療の道に進むからといって必ずしも医療系のアルバイトをする必要はありません。むしろ大学時代は興味を持った異業種に挑戦するほうが、新たな気付きを得られるのではないかとも思います。
患者さんや教員との対話を通して芽生えた新たな目標
大学時代に「ゆさぶる、ささる、胸を打つ」を実感した体験は、5日間のAYA世代(15歳~39歳)病棟実習での、ある担当患者との出会いです。彼は定期的に入院が必要な難病を抱えており、そのたびに学校を休まなければならない状態でした。実習の最終日に「学校を休みたくない理由は、友達がほしいからです」と伝えてくれたときは、胸が締め付けられました。彼の悲痛な思いは自分の想像を超える厳しい現実で、自分が小児看護を志望する思いの原点にさえも、疑問を持つようになってしまいましたが、一方で将来の選択肢が広がった瞬間でもありました。この体験のおかげで「病院の外でも彼のような患者さんを支えたい」「地域で暮らす病気療養児が健常児のように生活できるようにサポートしたい」という思いがあふれ、保健師資格を取ることの意義に気付き、めざす方向が定まりました。

大手前大学の学びの特長である「1on1リフレクション」もまた、人生の方向性を左右する大きなきっかけになり、先生方に何度も相談に乗っていただきました。ときにはアポイントなしで訪ねることや、立ち話の延長でも親身になって話していただくこともありました。3年時に実習の担当だった先生は、患者さんや、そのご両親との関わり方において私がとても尊敬している方で、よく話を聞いていただきました。先生と面談をするまでは、卒業後は養護教諭の資格を取得するために、特別別科に1年だけ通う予定をしていたのですが、先生が大学院へ進学された経験を聞いて考え直し、養護教諭の二種免許と保健師資格が取得できる大学院へ進もうと決めました。もしも大手前大学へ進学しなければ、看護師になることだけを考え、気づかぬうちに未来の選択肢を狭めていたかもしれません。

いつか「大学の恩師に頼られる看護師」をめざして
卒業後は大学院に進学し、病気療養児が学校に行くための、学校連携における看護師の感じる困難感について研究を行いながら、資格取得をめざします。大学院修了後は小児専門病院で看護師としての経験を積んだ後に、学校の生徒だけでなく教員や職員の健康も支える「学校保健師」になりたいと考えています。その後は地域医療に関わりたいと考えており、地域で暮らす病気療養児の看護に携わることを目標にしています。実は大学の恩師も将来的に地域医療や訪問看護に関わっていきたいというビジョンがあるとお聞きしたので、いつか先生に「自分のやりたいことを実現するには、小松原の力が不可欠だ」と誘ってもらえるような人材になれるように努力していきたいです。

看護の道は進学先の選択肢が多いからこそ、決めるときは私も非常に迷いました。大手前大学で4年間学んだ今、迷っている方に言えるのは「自分の可能性や選択肢を少しでも広げられる学校を選んでほしい」ということ。私の周りでは、どの友人も「この大学は先生との距離が近く、親身にアドバイスに乗ってもらえる」と話していました。私自身、先生や患者さんと関わってから、入学前は想定していなかった新たな目標を見つけることができました。
大手前大学での学生生活を通して、もう一つ良かったことがあります。それは、改めて「多様性」について考える機会が増えたこと。ある実習で、担当した患者さんが、実は後から男性看護師に抵抗があったことを知りました。その方に、なぜ私は受け入れてくれたのかを聞いてみると「男性だけど、あなただから担当してほしかった」と言っていただいた経験があります。そのときに性別や国籍などとは関係なく、人と人の信頼は重ねていけるものだと実感し、多様性の可能性を感じました。一方で髪色や服装などの制限で葛藤する出来事もあり、自分のアイデンティティと世の中のルールについて深く考えるきっかけも与えていただきました。多様性について疑問を持っている方にこそ、日本だけでなく世界に視野を広げている「国際看護学部」でぜひ学んでいただきたいと思います。

※内容はすべて取材時のものです。(2025年3月)