
研究活動
クローズアップ
看護の現場を通して気づいた“感受性”と異文化理解

国際看護学部 大学院国際看護学研究科
戸田 登美子 准教授
研究テーマ:国際保健 異文化看護 文化的感受性 在留外国人
日常の観察から“異文化理解”は始まる
現在の主な研究テーマは「異文化看護」ですが、決して英語が得意だったからではありません。学生時代、私は英語ができなかったために、日本語に不自由する人が日本で被る不便や不利益を自分事として想像し、捉えることができました。その感覚が今に繋がっていると思います。また教員として、学生が熱心に患者さんのことを思い考えている姿に接してきました。これらの経験を通して、「感受性」は知識や技術とは異なる要因が影響しているのはないかと考えるようになりました。
一方で、私は外国語系の大学でアラビア語とヘブライ語を学び、その学びの過程で、言葉を客観的に眺める機会を得ました。外国人と接する際、私たちは言葉の壁を意識することがあります。では、言葉の壁を乗り越えれば人と分かり合えるかというと、必ずしもそうではありません。言葉はツールであり、互いを理解するには、別の要素が必要です。その一つが文化であり、大学時代にその多様性と奥深さに魅力を感じました。その後、臨床で看護師として外国人の患者と接した際、意思疎通をはかることはできても、日本人の患者と同じレベルまで通じ合うことは難しく違和感を覚えることも。例えば看護師は、転倒の危険のある患者に「立ち上がる時は必ずナースコールを押して下さい」と伝え、立ち上がりや歩く様子を見守ることがありますが、同じことを外国人の患者さんに伝えると、「子ども扱いしないでほしい」と不満を言われたことがあったのです。
また、日本の病院にある“暗黙のルール”は明文化されていないため、外国人患者はこれに沿った振る舞いが難しいと思っていることも明らかになっています。例えば、ベッドとベッドの間のカーテンが閉まっている時は、隣の患者に話しかけない方がいいこと、食事が配られたらすぐに食べる、そうでないと自分で下膳しないといけない、などです。私たちはそれぞれの文化の中で生き、価値観を持っているように、患者さんにも文化、価値観があります。人を理解するには、その人の背景にどのような文化や価値観があるのか、さまざまな患者さんに接しながら、それらに思いを馳せることの重要性に気づかされました。これが私の「異文化」との出会いであり、英語に対する苦手意識、言葉との出会い、看護師としての経験、これらを通して現在の研究テーマ「異文化感受性」に帰着したと言えます。
宗教を理解することは、価値観や生き方を理解すること
イスラム教と聞くと、豚肉はダメ、アルコールもダメ、断食もして…と、さまざまな規則をイメージしがちですが、それは本来のイスラム教の姿とは少し違うように思います。患者さんがこれらの規則を守っているから、私たち看護師もそれに反する行為をしないことは大事ですが、このような情報だけでは患者さんを理解するには難しいと思います。
以前、イスラム教の患者や、看護師を対象にインタビューやアンケート調査を実施したことがあります。イスラム教徒の患者さんは看護師に、規則の理解ももちろん、イスラムについてもっと知って欲しいと思っていることがわかりました。一方で、看護師はイスラムについて知りたいけれど、なんとなく聞きづらい、聞いていいのかと躊躇していました。日本人にとって宗教はタブーとされたり、人が亡くなった時にお世話になるもの、というイメージがあるのかもしれません。しかし、イスラム教は人が生まれてから亡くなるまで、日常生活に密着した宗教であり、生き方の指針とも言えるものです。よって、看護が人に寄り添い、その人の日常生活を支援する職業であるなら、看護師はイスラム教についても規則を理解するだけではなく、イスラム教徒の生き方を理解する必要があると思います。
授業で学生に、「どのように死を迎えたいですか?」と尋ねたことがあります。多くの学生は、「家族に見守られながら…」と語りました。その内容に精神的な安寧は含まれていましたが、宗教的な側面について言及する学生はほとんどいませんでした。国際的な調査においても、日本人は日常生活で宗教的なつながりをもつ人の割合が少ないと言われています。先ほどの文化の話にも通じますが、日本における看護教育は、看護師も患者も場面もすべて「日本・日本人」であることが前提になっています。しかし近年、日本の医療施設にも、イスラム教徒をはじめ宗教的にも民族的にも多様な患者が訪れるようになりました。そのような状況を考えると、どのような国籍や文化的背景をもった人であれ、その人の価値観や生き方などを深く理解した上で、それらに応じた適切なケアを提供できる看護師を育てることが重要だと考えています。
一歩を踏み出した先に広がる理解し合える世界
私たちは、未知の世界に対してはどうしても臆病になりがちです。「コンフォートゾーン」という言葉があるように、自分が知っている範囲の中にいることは快適かもしれません。しかし、私は一医療者として、また教員・研究者として、自分が知らない世界を知り、視野を広げたいと思っています。人は、誰もがより豊かで幸せに生きる権利があり、人の数だけ幸せや生き方がある。看護師はそれに資する職業だと考えています。しかし、私たちが知り得る世界は限られ、患者に何かを提案するにも、その引き出しは自分の世界の中にしかありません。ですから、医療をめざす学生には、この「コンフォートゾーン」から出てさまざまな経験を積んでもらいたいと思っています。彼らがこれから出会う患者さんは、様々な背景や経験をもつ人生の先輩です。そのような人々に看護を行うには、私たちが彼らの辿ってきた人生に思いを馳せ、価値観や信念に敏感になり、理解しようと努め、受け入れる度量が求められます。

日本にいると、日本で生まれ育った人々と日本語を話し、阿吽の呼吸で理解しあえる環境を当然のように思い、不便を感じません。コンフォートゾーンから踏み出すには勇気もエネルギーも必要ですし、初めからうまくいくとは限りません。ですが、そのようなプロセスも含めて、その経験が自分の人生の糧となり、人を理解する土壌にもつながっていきます。人の幸せを支えるためには、まず自分が幸せでいられる方法を知る必要があります。そして、その選択肢が多ければ多いほど、幸せへの道筋や人生の彩りも豊かになります。一人の人間として自分の世界を少し伸ばすこと、伸ばした先にどのような世界が広がっているかを想像しながら、一歩踏み出す勇気をもって人生を歩むことが相手をより深く理解することに繋がり、新たな世界へ導き人生に彩りをもたらすのではないでしょうか。これらのことを研究を通し、学生や広く皆さんにも知っていただきたいと思います。

執筆者
戸田 登美子(トダ トミコ) TODA Tomiko
国際看護学部 大学院国際看護学研究科
准教授
研究分野
看護・保健・衛生
研究テーマ
国際保健 異文化看護 文化的感受性 在留外国人